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自分でも、え!もう10日?と思ったのですが、まだ風邪と仲良しさんです。
こんな話ばかりはいやなので、全然別のことを書こうと思います。

最近考えていることなのですが、
文句を言わずに淡々と100点を出し続けている人に対して、
それを見る人は、それが当たり前と思う傾向があるなあと。
だから、月並みですが、思いやりって大切だなあと、思ったんです。

最近ある演奏をききました。
その演奏の中で、ドラムスの人が、すごく速くて細かいビートを、
曲の最初から最後までずーっと叩き続けていたんですね。
たまたま、その人が、曲が始まる前に、
自分が作曲したが、どうしてこんなリズムにしてしまったんだろう、
よく失敗してしまうし、すごく大変だ、
と言っていたので、かろうじてそのビートにも意識がいきましたが、
それがもしなければ、多分、複雑で大変なことには全然お構いなく、
普通にきいていたと思います。
その人は、演奏中は本当に淡々と叩き続けていたので。

そういうことが、いろいろなところでも在ると思うのです。
舞台とかも然りだし、もちろん仕事は何でもそうだと思います。
仕事以外でも、本人は、すごくがんばってがんばって、
自分が100点だと思う水準まで、淡々と何かをやり遂げても、
周りの人にとってはそれは100点ではなく「普通」で、
別に気にもとめない、というようなことが。

ここで、どうして私が「100点」という
比ゆ表現を使っているかと言うと、
自分にも似たような経験があるからです。
私は自分の上に優秀なきょうだいがいたので、
母にとってはそれが当たり前だったのか、
学校で私が何枚100点を取っても、
それはただの「当然」というふうに受け取られていました。

最初は私も何となく寂しかったと思うのですが、
あまりにも「当然」な感じなので、「そうか当然なのか」
と自分でも思うようになり、
母の反応が無いことを気にしなくなりました。
それでも、あまりにも目指すところがないと、
どうにもつかみどころが無さ過ぎるので、
「未来の自分に後悔させない」という目標を自分で設定し、
いろいろな行動の指針にするようになりました。
それが小学校高学年ぐらいの時でした。

だから今でも、他者の評価や反応などは、
気にならないことはないけれど、傷つくことも勿論あるけど、
それが行動の目的とか、目標になることは全然ありません。
勿論、励ましてもらったら嬉しいし、
認めてほしい人に認められたらホッとしたりするけど、
だからといって自分の行動の動機には、なり得ないのです。

でも、複雑で大変なビートを叩き続けている人を、
淡々と100点を叩き出し続けている人を、
「それがドラムスの役割なんだから、当然」というのも
確かに尤もなことですが、
ふと、耳をすませて、
「うわっ、よく聴いたらすごいことやってるやん、
しかもめっちゃ続けてるやん、淡々と!」と発見できる、
そういうことができることも、必要なんじゃないかって思いました。
みんなが減点主義では、あまりにも寂しすぎます。

と同時に、淡々とやり続けることも素晴らしい。
私はすぐに、わあわあ言ってしまうので。

二つの点で、自分のことを反省しました。






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