filizのページです。
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私はあんまり「ウザい」とか言う言葉を使いたくないのですが、
昨日、ウザ!と思ってしまったことがありました。
でもそれで気がついたのは、
自分は最近、持病のことを人に話してないのではということです。
そういえば全然だった・・・

最初の頃、だから大学の入りたての頃は、
高校の時の友だちとか、あの頃は少なかったけどムスリマの友人とか、
同じ病気の友人とか、それこそホームページとか、
言いまくってた気がします。「やまひ君」とか。

あれから何年も経って、進行性のその名の通り、
ほんのちょっとずつ、ちょっとずつ悪くなってきていて、
ほんの少し、ほんの少しずつ新しいつらさが加わってきていて、
その度に、特に最初は、驚き慌てるのですが、
でもたぶん、自分の精神力とか気力とかが充実してきて、
多分に「慣れ」もあって、
そうほんまに、どんなことにも順応する人体ってすごくて、
今は病気のスピードより私のほうがだいぶ先を行っているのです。
たぶん。アルハムドリッラー。

医者ではないので詳しいことは分からないけど、
この病気のスピードを何十倍速にも速くしたら、
たぶん悪性になるんじゃないかな、
そういうことを悪性って言うんじゃないかなと思います。
今はすごくそのバランスが、絶妙な感じなんだと思います。
だからたぶん、見た目にも全然分からないんじゃないかな?
というか、最初のころと違って自分の体調に合わせてるので、
あまり他人がいるところで、しんどがったりとか、
全然していないので。しんどい時は家で寝てるもんね。
それぐらい、病気に振り回されなくなったというか。

でもこれからは、違う意味でもっと病気のことを
ちゃんと話すべき相手に話していった方がいいのかも知れません。
だけどなあ、めんどうなんですよ。
誤解とか、要らぬ同情とか、
そんなの意志の疎通では当たり前、それを乗り越える、
とか言っても、ことがことだけに、
かなり、めんどうレベルが高いのです。
というわけで、さぬきにっきで練習しています。

一番直近で言う「はめになった」のは、例の英語の先生です。
全く言う気なんて無かったんです。
でも、あの時期の若干の無理がよくなかったのか、
一年に一回レベルの強烈な痛みがレッスン直前に襲ってきて、
「うお…」とお腹を抱えていた時に、なんで今?という時に、
ばっちり先生が来て、というか知らぬ間に来ていて、
名前を呼ばれたんですけどすぐには反応できなかったんです。
焦点が全然合わなくて、とりあえず声のする方に顔を向けて、
ボワーっとした映像がだんだんはっきりするにつれ、
先生の「どないしてん?」な顔が見えだしました。

その後、何かときかれるのが嫌だったので、
無理やり立ち上がって歩いて、
「いやーちょっと遅れそうだったので速く歩きすぎて」
(別にこれはウソではないですが、説明にはなってない)などと、
原因と結果の全くつながらない言い訳でごまかしにかかったのですが、
現在進行形の症状に対する自分の動揺もどうすることもできず、
だいたい、小さなことでも猛烈な関心を示す
先生をそんなごまかしで交わすことなどできず、
「○○か?××じゃないよな?」という、数打ちゃ作戦にはまり、
というか、「めんどう」が対局の「めんどう」まで突き抜けて、
結局最後には病名をズバっと言ってしまいました。

ところが驚いたことに、絶対無いやろう、と思っていた
先生の「私の経験」ストックに、なんとそのものズバリがあったんです。
正確には「私」ではないですが、ご友人が同じ病気だそうでした。
それで私の症状も一発で理解してもらえたようでした。
絶対言う必要も無いし言いたくもない、と思っていたのですが、
なぜか、言ったあとは、妙に気が楽になるというか、
自分が相手に対して知らずに作っていた壁が消えたというか、
そんな不思議な感じがしました。
逆にいえば、なんで私、隠してたんだろう?と思いました。
敢えて隠しているつもりはありませんでしたが、
相手が何も分からないようには敢えてしていたように思います。

でもそれは、まず自分の中でバランスを取るために
必要だった気がする。
それがかなりできてきた今、これからをどうするか…
考えどころです。
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