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あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

今年は、年賀状を差し上げた枚数が史上初の40枚でした。
今までが20枚そこそこだったので、一気に倍増以上です。
年末年始は恒例の帰省をしていて、帰宅後は、
去年の体調不良時の遅れを取り戻すべく必死で、
課題やら英語の学習やらをしております。
家でラップトップを使うと、大学のように無線LANは使えないので、
もう2週間以上、ネットにはつながらず、
現実の世界のみを生きていました。
というわけで、メールでお年賀の挨拶を下さった方には
お返事が遅れております、すみません。


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今年の夫婦のテーマ
挑む夫婦

今年の書初め
いつもの、ビスミッラーヒ ラフマーニ ラヒーム
アルハムドゥリッラーヒ ラッビル アーラミーンとともに、
決心

新年の抱負2007
決める
広げる
スマイル

全て、心を決める、心を広げる、心にスマイル、
ということです。
詳細はfilizに載せる予定です。もう講義に行かなくては!

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新しい年が明けてから、英語と大学院関係に熱中しています。
そんなわけで今日は、今後のことを考える上でも役だちそうですし、
自分の英語学習歴についてふりかえってみようと思います。

<ローマ字が支離滅裂・中学校時代>
中学校時代は、全く英語はできませんでした。
特に、「書き」が苦手。
たいそう目茶目茶な文字を書いていました。
単語を目で憶えることも苦手。
仕方なく、教科書がそのままCDになった教材を
何度も何度もきいて丸ごと憶えました。
その当時「公募」にはまっていて、
ある時あるキャッチフレーズが採用され、
図書券だけは潤沢にあったがゆえの苦肉の策。
そんな私が国際教養科を目指すようになったのは、
「1年下に新しい科ができた。行きたかったな。」
という姉のひとことがきっかけでした。

<始まりは頭痛と吐き気から・高校時代前半>
「私、英語は全然できないよ〜ん」という、
相変わらずの自己認識を持ったまま入った国際教養科。
そんな私にとって、まさしく「スパルタ」な日々が始まりました。
初めての「リーダー」の授業は今でも忘れもしません。
50分間、イギリス出身の先生が、全て英語で授業を展開。
その後、誇張ではなく、本当に、吐き気と頭痛に襲われました。
次の授業から、さすがにそれほどの反応はなくなりましたが…

リーダーの授業は、テストも全て英語でした。
最初は、指示されていること自体が分からない。
その他、確か2年生になると、文法の授業なども全て英語でした。
「名詞」「過去分詞」などの英語が分からない!から始まり、
エッセイの課題が毎週出され、
初めは半泣きで3時間くらいかけて書いていました。
この、「初めは半泣きで3時間くらいかけて」のパターンの課題は、
まだまだ他にもありました。
例えば、確かLLの授業だったと思うのですが、
5分間くらいのニュースのトランスクリプトを穴埋めしてこい、とか。

しかし、慣れというのは恐ろしくも素晴らしいもので、
しばらくすると、30分くらいでこなせるようになってきました。
とにかく、英語の授業の種類と数が多く、
そこで出される課題も多かった高校時代。
予習・復習をしないと絶対に、絶対に無理だったので、
高校時代の英語で初めて、意識して自習するようにもなりました。

何より一番貴重だったのは、
「授業中、発言して当たり前」の世界に出会ったこと。
多感な中高生時代、授業中に発言するなんて良い子ぶって!
みたいな雰囲気になることは往々にしてありますよね。
でも、高校時代は丸っきり逆だったのです。
他の何に関しても、積極的で活動的、主体的なことが
良いことだという、生徒間の雰囲気があったのです。
また、国際教養科は、いろいろな生徒がいました。
日本以外の国籍の親戚がいることや、自分がそうであること、
日本以外で育ってきたことなど、
いろいろあって「当たり前」の世界でした。
高校入学とほぼ同時期にトルコ人の友人ができ、
後にトルコ人と親戚関係になった私にとって、
この「当たり前」の雰囲気があったことは、大変な支えでした。



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<中国に行った!・高校時代後半>
少し話が逸れますが、2年生になると、
第二外国語として中国語(普通話)を学び始めました。
これまたスパルタ式だったのですが、
中学校の時、英語が全く駄目だった時の学習法を応用して、
中国語の教科書のカセットテープを聴き続けました。
修学旅行は中国の上海と南京でした。
そこで、ほぼ初めて、英語と中国語を本格的に使いました。
たくさんインプットをしたら、アウトプットは案外できる、
という勇気の出る経験ができました。

そして、今までの「半泣き」学習の成果か、
センター試験では英語のうちの長文と
国語分野のうちの古典(古文と漢文=昔の中国語)で満点を取りました。

<夢が叶い、次の夢へ・大学時代>
中学時代、あれだけ、現状としても、意識としても、
苦手だった英語は、もはや自信なるものに変わっていました。
大学時代は中国語を少し続け、フランス語もかじりました。
あこがれだったイギリスへも、友人に会いに、行きました。
素敵な大学街、オクスフォードで過ごした時間は、
本当に夢のようでした。
中学の時からの何となくの、イギリスに行ってみたいという夢が、
最高の形で叶ったひとときでした。

年明けに大学卒業を控えた年の12月、
初めてTOEFLを受験しました。
博士課程は留学で、という夢への準備のためです。
そこからまた、新たな英語の道が始まりました。

<そして挑戦の現在・大学院修士課程>
1年間のフルタイム社会人経験のあと、
夢だった大学院もすでに現実の生活となり、
次なる目標、留学も俄然具体的になってきました。
最初の関門は当然TOEFLです。

自分にとっては、TOEFLに関してまず最初の壁は、
リスニングの壁でした。
大学在学中に受けた初めてのTOEFLでは、
高校時代の「慣れ」では太刀打ちできない、
「超長文」のリスニングに、あえなくプチンと集中力が切れる。
何を言っているのか全く分からない。
結果、3つの分野のうち、一番低い点数でした。
得意だったはずのリスニングで、この事態だったので、
自信も相当失いました。

これはもう仕方ないと覚悟を決め、
とりあえず、長くても、分からなくても聴き続ける、
という、ある意味荒療治で地道な学習法を約1年しました。
具体的には、BBCの子ども向けのラジオ番組や、ニュース、
そしてCD教材を、とにかくたくさん聴きました。
大学を出て、フルタイムで働いていた期間だったので、
仕事でヘトヘトになっている時には、
こんなことぐらいしかできなかったのです。

しかし1年後、大学院入学直前に受けたTOEFLのリスニングでは、
内容を楽しむ、おもしろがる、そして分かる、解ける、
という体験を初めてして、点数も劇的に上がりました。
同時に、お店などでかかっている洋楽の意味が、
勝手に耳に入ってくるという現象も始まりました。
もうリスニングは苦手分野ではなくなりました。

現在の壁は、第一には語彙です。
音と意味と文字の一致と、まず絶対量が問題です。
そして、スピーキングとライティングです。
でも、最近ようやく、「何をすれば良いのか分からない」
「今やっていることは本当に役立つのかな」
というモヤモヤから脱することができて、
全ての分野の学習、過去と現在の学習が、
互いにつながってきた感じがします。
ライティングにも苦手意識がありましたが、
スピーキングが出てきた今、
相対的に「こっちは、まだいけそう」という錯覚さえ、
いいのか悪いのか分かりませんが、でてきています。

これからも、前向きにがんばろうと思います。




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悪夢のような、咳の止まらない一ヶ月のあと、
2週間が経過した今、また、風邪をひいてしまった…

手術をして以来、自分の身体の状態を感知するのが
時々うまくいかないことがある。
それまで、必ず喉の痛みから始まっていたものが、
さまざまなところから来るようになったからだ。

大学院も仕事もお休みしてしまい、あ〜あ…と思いつつ、
一つ嬉しいことがあった。それは、
ラップトップからADSLでネットにつなげる方法が成功したこと。
ただ単に、アドレスが間違っていただけだったと気がついたから…
あたたかいものでも食べて、おとなしく薬をのんで、
BBCでも聴きながら、あったかくして寝ようとしているところです。


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自分でも、え!もう10日?と思ったのですが、まだ風邪と仲良しさんです。
こんな話ばかりはいやなので、全然別のことを書こうと思います。

最近考えていることなのですが、
文句を言わずに淡々と100点を出し続けている人に対して、
それを見る人は、それが当たり前と思う傾向があるなあと。
だから、月並みですが、思いやりって大切だなあと、思ったんです。

最近ある演奏をききました。
その演奏の中で、ドラムスの人が、すごく速くて細かいビートを、
曲の最初から最後までずーっと叩き続けていたんですね。
たまたま、その人が、曲が始まる前に、
自分が作曲したが、どうしてこんなリズムにしてしまったんだろう、
よく失敗してしまうし、すごく大変だ、
と言っていたので、かろうじてそのビートにも意識がいきましたが、
それがもしなければ、多分、複雑で大変なことには全然お構いなく、
普通にきいていたと思います。
その人は、演奏中は本当に淡々と叩き続けていたので。

そういうことが、いろいろなところでも在ると思うのです。
舞台とかも然りだし、もちろん仕事は何でもそうだと思います。
仕事以外でも、本人は、すごくがんばってがんばって、
自分が100点だと思う水準まで、淡々と何かをやり遂げても、
周りの人にとってはそれは100点ではなく「普通」で、
別に気にもとめない、というようなことが。

ここで、どうして私が「100点」という
比ゆ表現を使っているかと言うと、
自分にも似たような経験があるからです。
私は自分の上に優秀なきょうだいがいたので、
母にとってはそれが当たり前だったのか、
学校で私が何枚100点を取っても、
それはただの「当然」というふうに受け取られていました。

最初は私も何となく寂しかったと思うのですが、
あまりにも「当然」な感じなので、「そうか当然なのか」
と自分でも思うようになり、
母の反応が無いことを気にしなくなりました。
それでも、あまりにも目指すところがないと、
どうにもつかみどころが無さ過ぎるので、
「未来の自分に後悔させない」という目標を自分で設定し、
いろいろな行動の指針にするようになりました。
それが小学校高学年ぐらいの時でした。

だから今でも、他者の評価や反応などは、
気にならないことはないけれど、傷つくことも勿論あるけど、
それが行動の目的とか、目標になることは全然ありません。
勿論、励ましてもらったら嬉しいし、
認めてほしい人に認められたらホッとしたりするけど、
だからといって自分の行動の動機には、なり得ないのです。

でも、複雑で大変なビートを叩き続けている人を、
淡々と100点を叩き出し続けている人を、
「それがドラムスの役割なんだから、当然」というのも
確かに尤もなことですが、
ふと、耳をすませて、
「うわっ、よく聴いたらすごいことやってるやん、
しかもめっちゃ続けてるやん、淡々と!」と発見できる、
そういうことができることも、必要なんじゃないかって思いました。
みんなが減点主義では、あまりにも寂しすぎます。

と同時に、淡々とやり続けることも素晴らしい。
私はすぐに、わあわあ言ってしまうので。

二つの点で、自分のことを反省しました。






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今日から集中講義を受けています。
なんと今日は受講生が私しかいなくて、
学部・院を通して初めてのマンツーマンでした。
内容は西洋の美術史で、今日はオリエンタリズムについて。
美術に疎い私ですが、
去年から美術館などに行くようになったこともあって、
少しはおもしろく感じるようになってきたので、
楽しく学ばせてもらっています。
ほんまに、1人で講義を受けるのはすごくぜいたくな感じです。
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