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カギ
 私の職場には、カギのかかる扉がほとんどない。防犯上、安全上どうかと思うときもあるほど、ほぼない。防犯的な意味であるところにはあるけど。
 だから、利用者さんは、どこへでもかなり自由に出入りができる。ときどき、無断で外へ出かけてしまい、職員が総出で探すことになる。外へとまでは行かなくても、建物の中で行方不明になって探すこともある。
 以前の職場には、至るところにカギがかかっていた。ほんの数メートルの距離なのに、カギまたカギのところもあった。利用者さんは、カギがあいた瞬間に、身体ごと突進して出ようとしていた。特にどうしても出なくてはいけない用事はなさそうだったのに。
 どちらも、いいかよくないかの判断はまだ私にはできない。どちらにせよ、無くて、困っているのは、カギではなくて人手だ。

身体
 最近、本当に、身体に目を向けることが大事なのではないかと思う。知的障害(のみ)と言われている人でも、関節可動域が狭かったり、身体の使い方に困難があったり、それが経年によって悪化してきたりと、全く無視できない課題がある。頭は無視したら良いと言うつもりではない。ただ、身体のことが軽視されているような気がするし、少なくとも自戒をこめて記してみた。
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Social moods for PWD(障害のある人に関する社会のありよう
...直接的にいうと雰囲気)というようなことを博士論文で扱いたい。
それを日本社会とどこかの社会とで比較検討したい。

もともと、私は卒業論文、修士論文と、
「人称の障害」(勝手に命名)シリーズをやっていて、
卒業論文は一人称「わたし」、修士論文は二人称のなかの、
(これも勝手な選択によって)「母親からみた子どもの障害」についてでした。
博士論文では三人称をやるんだとそれだけは決めていました。

だけど、雰囲気って難しいですね。尺度がない気がします。
それと、雰囲気が実際の利害に与える影響の尺度もない。
それでも、いま私が一番関心があることをひとことでまとめると、
こうなってしまうのです。
雰囲気が悪くても、実際的な環境が整っている場合は、
雰囲気なんかどうでもいい?
でも、そんな場合なんてほとんどないと思います。

今のところ、この理由で、オーストラリア社会を検討しています。
どうやって先行研究を調べたらいいんだろう?
とりあえず、オーストラリアの図書館に、障害学関連の、
そういう関係の文献はないかレファレンスしてみようかなと思っています。

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ラマダーンカリーム!

今年は、初の山梨でのラマダーンのサウムです。
そういえば、私がムスリムになって、
初のサウムは大阪でなく岡山でした。

どうぞよいラマダーンをお過ごしください!

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